もはや準A級スポットへ昇格しつつある言わずとしれた台湾寺、金剛宮。
奇界遺産で知った方が多いかもしれませんね。
ほとんどの方がトップ写真の特徴的な神像である『甲子太歳金辨大将軍』を目当てに行くことでしょう。
今回は、観光ガイドについては十分語られ尽くしているので、宗教的観点から甲子太歳金辨大将軍について掘り下げていきたいと思います。
甲子太歳金辨大将軍とは
見た目が特徴的で、珍スポットとして有名になった甲子太歳。
結構ファンになっている方もいるかも?しれませんね。
実際に行かれた方は見られたと思いますが、同じような神像が何十体もあったと思います。
他の像も合わせて、これらの神様を大歳神と言います。
太歳とは
では大歳とは何かを説明します。
太歳とは古代中国で、作られた暦です。時間や方位としても使われます。
昔の人は、十二辰と十干というものを使い六十通りの組み合わせを作り、それを年の干支とし、60年で一回りする暦をつくりました。
60年で一回りするため、60年目をご存知『還暦』と呼びました。
当時、還暦を迎えることは非常に長寿であり、とても素晴らしいこととして祝ったのです。
そして、この60の干支はそれぞれ擬人化し神様となりました。
その神様を太歳神と呼びます。
六十干支
太歳は以下の組み合わせになります。
十 干…甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
十二辰…子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
一年目は甲子、二年目は乙丑…となり、60年目に癸亥となり、また甲子になり還暦します。
いやいや、10×12で120じゃないか!
となるかもしれませんが、十干と十二辰をそれぞれ、甲→乙→丙→…、子→丑→寅→…というふうに一つずつ同時にずらして組み合わせるので、必ず61回めで甲子にもどってしまいます。
これは60が10と12の最小公倍数だからですね。
実は祟り神
ここまで読むと、太歳神は日本の十二支のように縁起のいいものと感じるかもしれませんが、真逆です。
太歳神は祟り神とも言われています。
その年の太歳の方角では災いが起こるとされ恐れられてきました。
同様に、太歳神も人々に恐れられてきた神様でした。
そのため毎年、春節には太歳が入れ替わるので、お寺に行き太歳殿で災いが起こらないようにその年の太歳に祈りに行く風習があります。
同時に、産まれた年の太歳神は自分の守り神としても見られており、太歳殿にお参りするときは自分の太歳神にもお祈りします。
太歳神は決して侮ってはいけない神様ですので、ふざけたりせず尊び真摯に祈りましょう。
甲子太歳
太歳についてご紹介したとおり、それぞれの干支にそれぞれの神様がいます。
甲子太歳も干支に対応しています。
その名の通り、甲子の神様です。甲子は干支の一番目なので一番目の神様ということになります。
今生きている人で、甲子太歳が歳神の方は、1924年と1984年産まれの方になりますが、これは西暦です。
台湾の寺廟では旧暦を使用しますので、1924/2/5~1925/1/23と1984/2/2~1985/2/19の間に産まれた方の神様と言うことになります。
金辨大将軍の由来
金辨大将軍の由来は、明の時代にさかのぼります。
陝西省南山陽県で生まれた彼は、元の名を金濂といいました。または金仙とも呼ばれていたようです。
金辨は軍務を補佐し、在任中の働きはとても優秀だったといいます。
金辨の任されていた地区では長年水不足に陥っており、食糧難にも陥っていましたが、金辨のその働きによりこれらを解決しました。
その評判から国民からはとても称賛されていました。
そして死後、生前の働きから神として崇められるようになったようです。
見た目の由来
実は、見た目は先に紹介した金辨大将軍のものではありません。
特徴的なこの姿は封神演義の楊任がモデルとなります。
殷の文官で、紂王の愚行を咎めた事で目を抉る罰を受けました。
その後、道徳真君に助けられてその特徴的な掌中眼を手に入れます。
この二人が時代とともに変化し、習合したのが金辨大将軍です。
その特徴的な目ですべてを見通すと言われています。
おわりに
今回は甲子太歳金辨大将軍について深堀りをしてみました。
実は祟り神だったり、深い由来があったりする甲子太歳金辨大将軍でしたがいかがでしたでしょうか。
深く知ると、印象もガラッと変わるのではないでしょうか。
甲子太歳金辨大将軍だけではなく、他に59柱もの太歳神がいまし、太歳殿は台湾の多くの寺廟にあります。
次回お参りされる際は、自分の産まれの干支を覚えておき、自分の太歳神にお参りしてみてはいかがでしょうか。
マナーやしきたりはありますが、スタッフの方に聞けば優しく教えてくれますので是非挑戦してみてください。