デナリ登頂日誌 4

Day8(26日)
今日はショルダーに荷揚げをした。
上まで2時間強というところか。
雪が硬く、ほとんど深く埋められなかった。本当に大丈夫だろうか。
低気圧は金曜日まで続く見込み。
明日はレストとし、28日木曜日にHC入し、金曜日以降に期待したい。
毎朝の霜をどうにかしたいものだ。
気圧が上昇し出す。
Day9
快晴。見た瞬間即決、14キャンプからのワンデイ往復を決意。
行動食で朝食を済ませ、すぐに出発。
誰もやらないようだ。当たり前か…
ウェストバットレス唯一のテクニカルゾーンだが、日本の穂高連峰縦走の方が比べる対象にならないほど難しい。FIXも所々設けてあるし、ランニング用のテープも定期的に設置してある。
17キャンプまで3時間。
デナリパスに向けて斜め左にトラバースし、その後フットボールフィールドまで500mほど登る。すでに5500m程の標高で酸素が薄い。少し進むと息を正さないといけない。
フットボールフィールドを横切った先に最後の頂上稜線がある。
稜線までは、数百メートル直登しなければならない。消耗しきった体にはかなりの負荷だ。やっとの思いで稜線に着くと、眩しいし、フラフラで立っていられない。
今回高度障害を味わっていなかったが一気に押し寄せた感じだ。
稜線部で約6150m。
 あと標高差50m前後、小休止を挟み、100m程の道のりを20分程のかけて登った。
頂上では、多国籍の人がおめでとうと声をかけてくれた。
 頂上は寒くて、写真を撮ったらそそくさとその場を離れた。日本でも海外でも頂上滞在時間はいつもの通りである。
僕は、とにかく帰りの事が気になって頂上どころでは無かったのが実際のところである。
案の定、フラフラになりながらの下山になった。下山中も他の登山者に声をかけられ、讃えてくれた。こういうところはアメリカは本当に素晴らしい。
とにかく、フラフラになりながらでも、ウェストバットレスは通過しないといけない。行きはイマイチな場所も、フラフラだとグレードがます。集中しまくってどうにか乗り切りヘッドウォールも滑りながらなんとか通過、FIX直下でアメリカ人の二人にチョコと水をもらいどうにか帰還を果たす。
途中から始まった、吐き気と、頭痛で固形物は入らないのでスープ三杯ですぐに寝る。
Day10
昼に起きる。
相変わらず気持ち悪い。
1日停滞するか悩んだが、気持ち悪い以外は元気なので降りれるところまで降りることにする。
途中日本人の方とすれ違い小休止。
C3までソリを先に流し、ロープを手綱のようにして操作し順調に下降する。
下りはこんなにすぐに着くのかと、びっくり。
C3からスキーに履き替え快調にC1まで下降。楽チンだ。
すでに21時は回っているが、移動しているパーティも多い。
C1からが地獄だった。ソリが邪魔をして来てコントロールできない。小悪魔の魂でも宿ったのかというほど邪魔をしてくる。
すごいストレスを感じながら、トボトボと歩く。
25時過ぎやっとLPの下までとうたつする。ここからは登りだ。
100歩数えたら休憩。次は110歩。。。。みたいに目標を作って歩く。
気持ち悪くて吐きそうになる。
ふと振り向くと、遠くに2人見える気がする。しかも、どっから来たのという別方向から。
次振り向くといない。ついに疲れで幻でも見たのか。
と、思ったが本物の人間だった。スキーヤーでフォーレイカーから降りてきたようだ。
元気で、早い。すぐ追い抜かれ、すぐに見えなくなる。
着陸の目印のソリが見えるのに、全然たどりつけない。
2時到着。ペグもささず、適当にテントを張り就寝。
最終日
8時ベースキャンプマネージャーに帰りの飛行機をお願いして、8時30分飛行機到着。
団体さんと乗り合わせタルキートナへ。
もう、頭の中はコーラとピザのことだけしか考えられない。
到着後、すぐにコーラ。
装備を片付け、レンジャーステーションでチェックアウト。
祝福を受ける。この時登頂率2パーセント。(デナリ後日6月5日時38%)
すぐにマウンテンハイピザパイへ向かい念願のピザ!
吐き気で食欲が無くなっていたと思っていたが、うまいものは普通に食えた。ただの贅沢病だったのか?
今回は、本当に運良く、怪我なく事故なくしかも短期間で登頂ができた。
デナリという山は、氷河の危険性、高所の危険性がほとんどの難易度で、実際のところ八方尾根をひたすら何日も登る感覚に近く、技術的な点では拍子抜けだった。
ただし、僕は運が良かっただけで氷河、高所の危険性、長期登山の精神ストレスなどが登山者をことごとくいじめ抜く自分との戦いが多くを占める、キツイ山なんだなと思った。
僕もあと5日くらい停滞したりしたら敗退していたに違いない。
僕の他にも、日本人含め数百人の人が登っています。願わくば皆さんの登山が安全で、頂に立つ事が出来るように祈ります。

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